id:kinutさんの日記にコメントを書こうと思ったけれど、長くなってしまったので日記にしてしまおう。

http://d.hatena.ne.jp/kinut/20070117へのコメント

例えどんなに辛く苦しい過去であろうと、その体験や記憶、そこでの思慮がその人を創りあげているのだと思います。
“今の自分”があるのは、その決別することの出来ない過去の積み重ねの結果です。
どういう形にしろ、今を生きる私たちに出来ることは、受け入れる事と、過去から学ぶことだと思います。


自分は12年前の17日、震災をTVで観ていました。
しばらくTVや新聞を通じて神戸を見ながら色々なことを考え、神戸に行ってボランティアに参加することにしました。
12年も経ってしまうと、その頃の自分が何を考えて、どの様な動機付けで神戸に行ったのかはよく覚えていません。
「被災地」というものを自分の目で見てみたいという、不謹慎な動機だったかもしれません。
18才だった自分には、遠くから見ているだけという事に、ジレンマの様なものを感じていたのだと思います。


神戸での光景は、未だに記憶に残っています。kinutさんの住んでいた東灘にも行きました。
被害の大きかった地域では殆どの建物が倒壊しているか、大きなダメージを受けていました。
そこでは、私の平衡感覚は狂いました。
残っている建物も微妙に歪んでいるため、視界が捉える風景が歪んで見え、違和感を感じ続けるのです。


必死で瓦礫の山から荷物を取り出すお年寄りを手伝ったこと。避難所の子どもたちの明るさ。
毎晩遅くまで行ったミーティング。自分たちに出来ること、出来ないことについての果てしない議論。
ボランティアに参加出来たのは短い時間でしたが、自分にとって神戸の体験はその後の人生を大きく左右したように思います。
一人の無力さ、集団の力強さ、国や行政が果たすべき役割や責任、そして一人ひとりの国民と命の問題について考えました。


そして、どん底の様な状況でも輝いていたのは、人々のユーモアや愛情、想像力でした。


取り返しのつかないこと。忘れてはならないこと。
そうしたことが、一人の人間の視線を通じて、リアルに語られたとき、それは多くの事を教えてくれます。
「何が起きたのか」だけではなく、その時、人々が何を見てどう感じたのかという事が、真実を照らし出すこともあるのだと思います。
すべての人の人生や価値観は固有なものであり、その多様さは実に世界を魅力的に彩ります。
一人ひとりの被災体験は違います。「はてな」を通じて知り合えたkinutさんが、何を見て、何を感じたのか。
それを知ることは、とても私にとって意味のあることです。
辛くても書いてくれと言っているのではなく、ただ純粋にそのことを伝えたかったのです。
昨年の1/17にも、kinutさんのダイアリーを読んだ時に感じたことを、言葉にしてみました。

ちゃお。