使っていない部分

先日の日記にコメントを寄せてくれた友人が、かなりナイスな体験をさせてくれた。

10年前の話だが、おいらは某美術専門学校に通っていた。なかなか実験的な学校で初日の授業が「なにものかになりっきて近所の大学の学食を襲撃する」というもの。まあ、仮装して飯を食いに行くだけなんだが、なにせ「おいらはアートを志しているんだぜ」というチカラ入りまくりですから、しょっぱなが肝心ですから、もうみんなもスゲー格好している。着ぐるみぐらいならかわいい方でレスリング選手の格好やらコックやら色々。んで、行列なして行く。異様である。電柱に登リ出す奴や、交番に入っていき警察官と腕くんで記念撮影する奴(おいら)も。集団心理とか、吹っ切っちゃった人間というのはなかなか大胆である。おいらがどんな格好したかは名誉にかかわるので言えないのが残念ではある。この学校はここで終わらない。みんなで反省会みたいなことをやり、今度は班をつくって、次はどこの学校を襲撃するのかリサーチさせ、コンセプトを決めて決行し、後でその模様をプレゼンしろという。そんなことから始まる学校だった。

一体なにを目的にこんな授業をするのか当時は考えなかったが、「照れを捨てる」「考える」「人に何かを伝える」、そーいう大事なことを体験させてもらっていたのかもしれない。

そんな風にして、一人で美術展に行き、週に一回は映画館に足を運び、カメラを持ち歩いたりする人間になっていった。学校は本当になんとか卒業できたというくらいの落第生だったが、今考えると気持ちはそれなりにアートしていたのかもしれない。
10年前の話である。
まったく美術や芸術と縁のない仕事に就いて8年たつ。

で、

みずき画伯にトラックバアアアッック!(初トラでござる)

http://www.dsnw.ne.jp/~hanamiz/journal/journal.html

● 「カケラ」

12日のオープニングパーティーで、来てくれた友人と一緒に作品をつくった。

絵を小さなピースに切り分けて、色紙で少し大きめのピースを用意する。みんなに大小それぞれ選んでもらい、小さなピースを、大きなピースの好きな所に貼ってもらう。
小さな「カケラ」を使って、なんとか個性をだそうとする作業が見ていて面白い。

みんなからもらった「カケラ」を集めて、ひとつの額におさめた。
たくさんの個性がひとつに寄り添った作品のできあがり。

この共同制作のために切り刻んだのは、描いて描いて、ボツにした絵たち。今回制作が手こずったので、いつもよりもその数は多い。でもひとつの納得いく作品を生み出すまでには、なくてはならないプロセス。邪険に扱うのは忍びなかった。

こんな形でリメイクして、成仏させられたかな?

March 22

 
↑このページの写真の手の下の作品造ったの、オレ、オレだから!
このとき、最後に到着したおいらは、残っている「カケラ」使いまくりで沢山作ってお持ち帰りした。それらの作品は後日、アプする〜。

ここに行って、すんげえ色々考えて、感じた。みずきの作品展には過去にも行ったし、最近だって、映画や小説、音楽とは深く付き合ってもいる。なのに、この時に味わった面白さは、学生時代に感じていた感触。自分の想像力を使って、何かを生み出すという楽しさ。想像力だけでなく、創造力を試されてる感じ。快感でした。
あー、おいらの脳みそには、日頃使ってない部分があるんだな。もったいないなー。あんなにかわいがってたところなのに。
そうした事を思い出させてくれた、参加型アートを提供してくれたミズキに心から感謝。

ぜひともシリーズ化してほしい。ミズキの作品に触れながらも、そのカケラを貰って、自らもアートできる。すんげえ魅力的。自分が参加する(体験してみる)ことで、ミズキの作品の奥深さが更に伝わってきたよ。てか、誉めすぎか?これ。