21年前の今日を覚えている。

その頃、2つ年上の姉が病気で長期にわたっての入院をしていて、母は泊まり込んで看病をしていた。学校が終わると近所に住んでいたおばあちゃんの家に帰り、夜になると仕事を終えた父が迎えに来るという生活だった。

その日、小学校3年生だったおいらは、友人と一緒に下校してきた。たしか昼頃で学校が終わり、家の前で友人と「じゃあ、すぐ行くから!」と遊ぶ約束をしておばあちゃんの家に飛び込んだ。ランドセルを放り出し、すぐに遊びに出ようとすると、玄関に母の靴があることに気付いた。おいらは母が大好きで、姉は父が大好きだった。突然に母が帰ってきたことがとても嬉しかった。

“姉のところにいるはずのお母さんがどうしてこんな時間にいるんだ?”と思い居間に行くと母が座っていて「遊びに行くのはやめにして」と。どうして?と聞くおいらに震える声で母親が「おねえちゃん死んじゃった」と静かに言った。意味がわからないおいらに「治らない病気だった。沢山がんばったけど死んじゃった」と話してくれた。
その時になって初めて、おいらは姉が白血病という、当時は治すことの出来ない病だったことを知った。8歳のおいらに死という概念はなかった。

お通夜の時も、お葬式の時も、姉が骨だけになって小さな壺の中に入ってしまっても、おいらはなんとなく事の成り行きを見ている感じで、沢山の人が我が家を訪れ、そのことにウキウキしていたくらいだった。

葬式が終わって何日かしたとき、NHKでやっていたアニメ「太陽の子エステバン」が最終回を迎えた。おいらも姉もその番組を楽しみにしていて、姉も病院で観ていたはずだった。その最終回の放送を観ながら、ふと姉は最終回をみることが出来ないんだという事に気付いた。その放送を観ながら、おいらは姉が亡くなって初めて泣いた。

姉は小学校3年で発病し、二年間の闘病生活を送ったのだが、ずっと入院していたわけではなく、3ヶ月とか1ヶ月の自宅療養というのがあった。姉はそれを楽しみにしながら、目標にしながら病と闘っていたのだと思う。

姉はとても気の強い人で、おいらがふざけたことをして怒らせた時など容赦なくぶん殴られた。とてつもなく怖かった。夜になっても二人でふざけていて寝ないと両親は姉とおいらを外に出して玄関にカギをかけた。おいらは夜の闇が恐ろしくて近所中に響き渡る声で「ごめんなさーいー!入れて下さーいー」と泣きわめいたが、姉は泣くんじゃねーようるせえな、といった態度で微動だにしていなかった。おいらの近所迷惑な泣き声と、いつまでも謝らない姉に根負けして両親はカギを開けた。
しかし、おいらは彼女の唯一の舎弟であったので、近所の悪ガキにいじめられて帰ってきたときなどは、彼女は輪ゴムと割り箸で造った鉄砲できちんとカタキをとってくれた。

姉が退院してきていたある晩、姉が何かの拍子に母を激怒させた。基本的に我が家は女性陣は気が強く、その二人の争いは、おいらから見ると親子ゲンカの範囲を超えた、女のメンツをかけた闘いのような迫力があった。すさまじい剣幕で怒る母に反抗的な目で挑発する姉。思わず母はカッとなってビンタをくりだした。姉は鼻血を垂らしながらも、泣くこともなくキッと睨み返した。その時点でおいらは限界を迎え泣き出した。出血に動揺したのは姉ではなく母だった。おいらはあの時の、何にも屈しない、タフな少女であった姉の顔が目に焼き付いている。

姉が10歳になる頃には、自宅療養の期間はだんだんと短くなっていき、2日や3日だけ家に帰るときがたまにある程度になっていった。しかし、抗ガン剤で髪が抜けても、どんなに痩せてしまっても、家に帰ってきたときには、おいらにとっては何も変わらない強い姉だった。

毎週の日曜日には両親と姉の入院している渋谷の病院まで合いに行った。子どものおいらは姉のいる小児科病棟に入ることが出来ず、ガラス越しに短時間会える程度で、半日を病院の廊下で一人で遊びながら両親が出てくるのをずっと待っていた。一人で遊ぶ可哀想な少年を思い浮かべる人もいるかもしれないが、そういう記憶ではない。8歳やそこらの子どもというのは、その状況がどんな状況なのかなど考えることはしないのだろう。ただ、繰り返される病院の廊下での時間をたんたんと過ごす事が出来るのだ。天井を小さなモノレールの様な箱が異動していくのを追いかけたり、車のおもちゃを走らせたり。

しかし、ある日「今日はおねえちゃんの病室まで行こう」と両親が言った。初めて入った病室、ビニールに覆われた小さなベッドで呼吸器をつけて眠る姉はおいらの知っている逞しい姉ではなかった。母や父が姉の名前を呼んでいたが、姉はなんの反応も示さずに静かに呼吸の音だけが聞こえた。おいらはこんな風に弱っている姉など会いたくなかったと思った。ビニールの中の姉の手に軽く触れるとおいらはすぐに病室を出た。
その翌日に姉は他界した。10歳だった。

あっとゆうまおいらは姉の年齢を追い越し、姉の3倍近くを生きてきたことになる。それでもおいらにとって、たった一人の姉はいまでも追い越すことの出来ない、強く、怖く、頼れる姉のままだ。少し時間はかかるが声だって思い出せる。

生きていれば、31歳である。なんとなくだが、結婚しないで「あんたみたいな軟弱な男ばっかでな」などとのたまわっている気がする。

去年の今日はかみさんと花を持って墓参りをした。今日のおいらは仕事で走り回っていたのだが、書類に「6月6日」と書く度に、「ああ姉の命日だ」と思い出し、またすぐに忙しさの中でそのことは頭を離れた。

20年、一人でお墓に入っていた姉だが、今年の春からおばあちゃんが一緒になった。
姉の入院中、おいらが親の迎えを待って「退屈だー!なんか楽しいことないのー?」と困らせまくったおばあちゃんが、長く生活していた家に、おいらは今かみさんと住んでいる。

今度の休みは姉とおばあちゃんの眠る場所に、姉の好きだった赤い薔薇の花を持って会いに行こうと思う。おばあちゃんの残した、庭に咲く沢山の花も一緒に。