妥協案に動揺することなく闘いを強める。

miyaMoto2006-04-03


http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20060403k0000m030004000c.html
 フランス、4日に再び一斉ストに突入する。
 CPEについて検索かけていたらmixiにフランス在住の日本の青年が立ち上げた「2006年フランス学生運動」というコミュがあるのを見つけた。日本のメディアだけを追っていては得られない生きた情報があってとても刺激的。また写真という表現が持つ力を存分に伝えてくれる。先日おいらは、あまり深く考えず暴徒と化している連中を軽視する旨を書いた。暴徒は警察の介入に口実を与える役割しか果たさないと感じたから。しかしこのコミュの運営者は学生たちが彼らとどの様に向かい合うのかについて言及されていた。非常に考えさせられる。

 二宮厚美氏は格差社会を論じた時、小泉の構造改革路線(新自由主義)について、“強者が弱者の肉を食って肥え太り、弱者はその犠牲となってやせ衰える”弱肉強食型であると同時に、“正規とパート、若者と高齢者、中小企業相互間の競争は(中略)ヨコに並んだ者同士のそれであって、ただちに敵対的・対立的なタテ型格差をむみだすものではない”として、国民同士を対立と分断の関係に持ち込む事を指摘した。この思想が蔓延すると、例えば、多くのフリーターが生活保護基準を下回る収入であるとき、最低賃金の底上げや正規雇用の拡大を求めるのではなく、生活保護基準の切り下げを叫ぶという訳だ。


「2006年フランス学生運動」コミュで紹介されていた写真サイト(是非!)
http://www.oeilpublic.com/diaporama.php?r=259

 デモの写真も心躍るが、学生達が教室で議論する場面を写したものが素晴らしい。個人の力ではとうてい動かす事の出来ない大きな力を前にして、絶望するのでも諦めるのでもなく、一体自分に何が出来るのか、自分たちに何が出来るのかを模索する。議論し、一致点を見いだし、団結をつくりあげる。小さくともかけがえのない個人が連なり結びついていくことで、より大きなものを動かす力を手にする。そうしたただ中に身を置くものの見せる知的で生命力に溢れた瞳が写し出されている。