フジロックフェスティバルのメンツが着々と決まってきている。
7月最後の週末は苗場で過ごすことを決めてからというもの、毎年我々はその週末を軸にして一年を過ごす様になった。8月から冬にかけてはその余韻を楽しみ、春を迎える頃には小出しに発表されるアーティストに一喜一憂し、「さあ今年はテント幾つ持って行く?」「先発隊は何曜日に出発だ?」と脳内で何度もシュミレーションを始め、同志たちと連絡をとりあう。

フジロックフェスティバルというのは参加したことのある人にしか決して理解することの出来ない魅力を持つ。海に行ったことのない人間に、幾ら丁寧に感情を込めて説明したところで、海の魅力を伝えられたという達成感は持てないだろう。結局のところ、そういう類のものなのだ。

我々が自らを“フジロッカーズ”と呼ぶとき、そこには誇りにも似た気持ちが込められている。このフェスティバルを愛し、そのフェスを愛する仲間たちを愛しているという表明だ。人生の中に位置付けている。

フェスティバルとは祝祭である。音楽を祝い、この国のオーディエンスを祝い、世界中のアーティストを祝う祭だ。苗場という決して地理的に恵まれた場所ではない所に100を超えるアーティストを集め、自然の中で音楽と人と溶けあう3日間。至福の時。

フェスが金になるという一つの真実は多数のフェスを生んだ。しかし、結局のところ、サマーソニックだろうが、ウドーだろうがフェスという空間を作り出せずにいる。フジに行った人間はどうしたって比べてしまう。一つの明確な事実に出会う。「ここではフジの様な奇跡は起きない」と。「こんなものはフェスではなくただのイベントじゃねえか」と。

公式発表はまだだが、今年度フジ三日目のヘッドライナーがストロークスに決まったらしい。これで、初日フランツ、2日目レッチリ、3日目がストロークとなる。10年間で最も見劣りするラインナップであることは間違いない。多数のフェスが乱立することや、立地条件によるコスト高など様々な要因があるのかもしれないが、なんだかなーという思いは隠せない。

同日程で韓国でもフェスが行われるらしい(http://pentaportrock.com/index.php)。そこにエントリーされている幾つかのアーティストがフジにもエントリーされている。おいらとしては3日目大トリにブラック・アイド・ピーズを期待していたのだが、ストロークスが決定したことでそれはなさそうだ。

しかし、それでもフジへの期待が下がるかと言えばそういう訳でもない。そこがフジの魅力なのだ。なにせフジでヘッドライナーのステージが一番記憶に残ることなどマレなのだ。奇跡はいたるところにある。民生のマイクにトンボが留まった瞬間、蝋燭に囲まれたステージでの幻想的なフィッシュのジャム、満月と無数のミラーボールの下で踊ったジャック・ジョンソン、アンプの電源を落とされた後でも終わることなく続いた午前7時過ぎのトロジョンズ。結局のところ、我々は一人のアーティストが発表されることなく当日を迎えたとしても、テントを担ぎ、バックパックを背負い、大量の酒瓶と仲間とともに聖地に向かうのだ。


フジロックフェスティバル
http://www.fujirockfestival.com/

世界はどこへ向かっているのか

 昨夜、ベッドには入ったが眠れず、5時前に起き出してネットをしたりTVを観ていたりした。早朝のTVは30分位のサイクルでくり返しニュースをやっている(いつもは寝ていて起きたら5分で家を出ちゃうからTVなんぞ観ない)。国際関係のニュースが豊かで、フランスでのCPE撤回、イタリア総選挙での政権交代、米国での不法移民規制強化に反対するデモのニュースがくり返し流された。各国の一人ひとりの人間が連帯という思想を武器に、まるで一匹の大きな生き物のようになって、強大な相手を飲み込んでいく。

 今後、こうした現象は世界中で巻き起こるだろう。当たり前だ。なぜ黙っている必要がある。日本ではジニ係数が跳ね上がり、いまや四分の一の富者が四分の三の富を得て、四分の三の者たちはお互いを蹴落としながら四分の一の富を奪い合う。が、すぐに気付く。取り過ぎてるのが誰なのかを。その不平等がなぜ起きているのかを。誰がそれを作り出したのかを。

若者解雇策を撤回 青年・労働者「運動の勝利」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-11/2006041101_02_0.html


伊総選挙 中道左派が優勢 出口調査 5年ぶり政権交代
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-11/2006041107_01_0.html


米デモ100万人規模に 移民規制抗議、65都市で
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060411/eve_____kok_____003.shtml


 フジTVでは反CPEの行動に対してアナウンサーが「暴動」という単語をくり返し使っていた。また現地のキャスターは「改革がすすまず、産業界に大きな負担となる」的なコメントをしていた。使われる映像は勿論、警官隊に投石したりする一部の暴徒集団がほとんどで、200万人とも300万人とも言われている行動の全体像はまったく伝わってこない。
 あのアナウンサーはもしかしたら、デモと暴動の区別などつかないのかもしれない。我々が持っている労働時間や有給休暇や福祉についての権利というものが、長年にわたる労働者たちの闘いによる成果であることなど知らないのであろう。当然だ。この国ではそうしたことをアナウンスするメディアは殆どない。


仏・ドビルパン首相、学生や労組が猛反発していた新しい雇用政策の撤回を発表(動画)
http://www.fnn-news.com/realvideo/wu2006041104_G2.ram


 昨夜、AALA(http://www2u.biglobe.ne.jp/~jaala/)の主催するベネズエラからのゲストによる講演会に行ってきた。国民参加の改革が政治でも経済でもドラマティックに進んでいる事が生々しく伝えられた。
 個人的に最も驚いたのは会場からの質問に対するやりとり。「ボリバル革命での女性の地位向上、男女同権の問題はどうなっているのですか?」という質問に対して「これまで女性は政治に参加してこなかった。南米ですからマチズムも根強い。しかし、この改革の中心的役割を担っているのは女性たちです。チャベス政権のもと女性相がつくられ、男女同一賃金は勿論、主婦の家事労働も立派な生産活動だとして政府として賃金を支払う事を決めました」と。(えええええ?ねえ、聞きました奥さん。ベネズエラじゃ主婦も給料貰えるようよ。そりゃそうよねー、“お前らのために働いてやってる”ってな偉そうなうちのダンナなんて、掃除、洗濯、育児なんてやらせたらきっと3日で音をあげるわよ)


ボリーバル運動: チャベスの挑戦
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/otherla/bolivariano.htm


 さて、フランスやイタリアのニュースに埋もれてあまり大きく取りあげられていないが、ペルーの大統領選挙では、新自由主義モデルの経済から国民本位の経済路線への転換を掲げた左派ウマラ候補がトップに躍り出た。中道左派のガルシア氏との決戦投票にもつれこんだ場合、ウマラ氏が優勢だという。南米はもはや「合衆国の裏庭」でないばかりか、「新自由主義NO」のスローガンのもと革新・左派の大波となって米国へ打ち寄せている。

ペルー大統領選 ウマラ氏がトップ 新自由主義批判に支持
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-11/2006041107_02_0.html


ペルー:大統領選2位争い、元大統領が浮上
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20060412k0000m030105000c.html

妥協案に動揺することなく闘いを強める。

miyaMoto2006-04-03


http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20060403k0000m030004000c.html
 フランス、4日に再び一斉ストに突入する。
 CPEについて検索かけていたらmixiにフランス在住の日本の青年が立ち上げた「2006年フランス学生運動」というコミュがあるのを見つけた。日本のメディアだけを追っていては得られない生きた情報があってとても刺激的。また写真という表現が持つ力を存分に伝えてくれる。先日おいらは、あまり深く考えず暴徒と化している連中を軽視する旨を書いた。暴徒は警察の介入に口実を与える役割しか果たさないと感じたから。しかしこのコミュの運営者は学生たちが彼らとどの様に向かい合うのかについて言及されていた。非常に考えさせられる。

 二宮厚美氏は格差社会を論じた時、小泉の構造改革路線(新自由主義)について、“強者が弱者の肉を食って肥え太り、弱者はその犠牲となってやせ衰える”弱肉強食型であると同時に、“正規とパート、若者と高齢者、中小企業相互間の競争は(中略)ヨコに並んだ者同士のそれであって、ただちに敵対的・対立的なタテ型格差をむみだすものではない”として、国民同士を対立と分断の関係に持ち込む事を指摘した。この思想が蔓延すると、例えば、多くのフリーターが生活保護基準を下回る収入であるとき、最低賃金の底上げや正規雇用の拡大を求めるのではなく、生活保護基準の切り下げを叫ぶという訳だ。


「2006年フランス学生運動」コミュで紹介されていた写真サイト(是非!)
http://www.oeilpublic.com/diaporama.php?r=259

 デモの写真も心躍るが、学生達が教室で議論する場面を写したものが素晴らしい。個人の力ではとうてい動かす事の出来ない大きな力を前にして、絶望するのでも諦めるのでもなく、一体自分に何が出来るのか、自分たちに何が出来るのかを模索する。議論し、一致点を見いだし、団結をつくりあげる。小さくともかけがえのない個人が連なり結びついていくことで、より大きなものを動かす力を手にする。そうしたただ中に身を置くものの見せる知的で生命力に溢れた瞳が写し出されている。

最近読んで目から鱗だったオススメの本。

ヨーロッパ諸国がどのような経済社会を目指しているのかを描いている。今回のCPEなどの逆流もあるが、総体としては新自由主義を否定する流れになっている様だ。それが「なぜなのか」という分析で、国民の運動が果たしている役割が描かれておらず残念ではあるが。

アメリカ型資本主義を嫌悪するヨーロッパ

アメリカ型資本主義を嫌悪するヨーロッパ

フランスが揺れている

miyaMoto2006-03-29

 kinutさんも触れている(http://d.hatena.ne.jp/kinut/20060329)が、青年層に不安定な雇用制度(CPE)を持ち込もうとするフランス政府に対して国民的規模での反撃が起きている。約二ヶ月前のパリ、5000人の青年デモをスタートに一週間後には40万人、今月に入ってからはデモ参加者が100万、150万と増え、ついに3月28日フランス全土での統一ストに突入した。法案のターゲットとなる若者だけでなく、国民的規模での行動となっているようだ。ストは交通関係や学校だけでなく、郵便や電力にまで広がり、主要紙が発行をとりやめ、ニュース専門番組では一日音楽を流しているという。

 日本で暮らすおいらには、具体的なイメージが沸かない。小学校の頃、大雪が降った日に先生が「今日は授業は中止してみんなで雪遊びをしましょう」と呼びかけグランドに飛び出したような感覚だろうか。全然違うだろう。

 日本の労働環境に比べれば、フランスの雇用政策が過度に労働者の権利を踏みにじっているのではないかもしれない。それでも、フランスの人々はたたかう。これまでもたたかいを通じて権利を勝ちとってきた様に。デモに参加する青年たちの顔が素晴らしい。高校生だか大学生だかが、頬やおでこにNONと書き、拳を振り上げ大声をあげている。日本のマスコミは一部の暴徒化した連中ばかりを写しだしているがそんなところに本質はまるでない。置かれた立場が違っても、そこに連帯をつくり力を合わせる事ができるところにフランスのすばらしさがある。

 日本でも必ずそういう時代がくる。そういう時代をつくる。「仕事がとれないから仕方ないんすよ」と毎日5時間以上のサービス残業をする奴や、交通費自己負担で現場まで行って「今日は帰ってくれ」と追い返された派遣で働く奴らとそれを準備する。着々と準備する。


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-29/2006032901_02_0.html
http://search-j.aik.co.jp/cgi-bin/namazu.cgi?query=cpe&submit.x=16&submit.y=11

一度ロスへ行ってみたい。

 昨日、LAを舞台にした映画「クラッシュ」が素晴らしいと書いた。今日はLA出身のヒップホップアーティスト、ブラック・アイド・ピーズ(以下BEP)というグループをオススメしたい。03年に発売された「エレファンク」、05年に発売された「モンキービジネス」2枚のアルバムがバカ売れしたので、ヒップホップに明るくない人も一曲くらいは聴いた事のある曲があるかもしれない。もともとはアフリカン・アメリカンのウィル、フィリピン系のアップル、ネイティブ・アメリカンのタブーの男3人で活動していたが、前記の2作からは金髪美女のファーギーがメンバー入りしている。

 アルバム収録曲は肌の色同様、まさに色とりどりのバラエティに富んだ曲たちで、一曲ごとに様々な顔を覗かせ、アルバムを通して聴くと世界旅行をしたかの様な満足感が得られる。来日公演は見逃しているのだが、MTVで観たライブではステージ上を4人が本当に楽しそうに飛び跳ねていて、こちらまで楽しくなってしまう。フジロックのグリーンステージでぜひ観てみたいものだ。「エレファンク」最後の曲「where is the love」(日本盤はその後にボーナストラックが収録)は、素晴らしい楽曲。


この世の中一体どうなっちまってるんだよ、ママ
みんな自分達にはママがいないみたいにやりたい放題
世界中が揉め事に熱中してるんじゃねぇか
トラウマを生むような、そんなことにしか魅力を感じてないみたいじゃないか
海の向こうで、yeah、俺達はテロリズムを阻止しようとしてるけど
俺達の住むアメリカ国内にもまだまだテロリスト達がウジャウジャしてるじゃねぇか
名高いCIA、ブラッツにクリップス
それにKKK



もし自分と同じ人種しか愛せないというなら
差別することしか知らないんだろう
そして差別ってのは憎しみを生むだけなのさ
そして人は憎しみを覚えたとき、憤りだけを心に抱くのさ
怒りだけを表に出すようになるのさ
まさにそういうサイクルでこの世の中回ってないか?
ったく、愛ってのを忘れちまったのかよ、」誠実な愛を
自分の気持ちをコントロールし、静思するんだよ
魂で人を愛するのさ



(コーラス)
人は殺し合い、人が死ぬ
子供達は傷つき、子供達の泣き声が聞こえる
有言実行、自分の信念を態度で示すことが出来るかい?
それとも不誠実に生きるかい?
主なる父よ、主よ、主よ、われわれを助けたまえ
お導きを
みんなを見てると、考えてしまうんだ
愛はどこへ行ってしまったんだろうと...



何もかもが変わってしまった、全てが変わった
新しい世紀は何かがおかしいぜ
昔と一緒だというなら
愛と平和が大切だと言うなら
なぜ、ひとかけらの愛もこの世界に存在しないと感じるんだろう
国家が爆弾を落とし
小さい子供達の肺には毒ガスが蔓延し
今も進行している苦しみは、若い奴らは身だけじゃなく、心もまだ幼い
なぁ、自分自身に問いかけてみてくれよ、愛が本当に消えてしまったのか?って
何が間違ってるのか、俺も自分に問いかけてみるのさ
俺達が住むこの世界で何がまちがってるのか
人はみなすぐに諦めて
利益だけを考えて間違った選択をする
お互いを尊重することをせず
自分達の兄弟を否定する
戦争が続いても、なぜその戦争が起こったのかその理由は闇に包まれたまま
真実は闇の中
不都合なことは全て秘密にするってことさ
真実を知ることがないなら、愛を知ることなんて出来ないさ
愛はどこに行ったんだよ、なぁみんな、カモン、俺にはわからないのさ
愛はどこに行ったんだよ、なぁみんな、カモン、俺にはわからないのさ
愛はどこに行ったんだよ、なぁみんな


(コーラス)


世界が俺の肩にのしかかってるみたいだぜ
歳をとる毎に、みんな冷たくなっていく
みんなが興味を持ってるのはカネを生むことだけ
自分本位の考え方が俺達人間を間違った方向へ導いていく
メディアは間違った情報ばかりを流し
俺達の基準は全てネガティブなイメージで成り立ち
バクテリアの感染が広がるよりも早いスピードで若者達を洗脳していく
子供達は映画と現実の差がわからず、映画と同じ振る舞いをしたがる



人間愛の価値はどうなっちまったんだ
公平、平等ってのはどうなっちまったんだ
みんな愛をばら撒く代わりに
俺達は強い憎しみをばら撒き散らしてるのさ
団結する心を忘れさせているのさ
だから、時々俺は気分が滅入るんだよな
だから、時々俺は落ち込んじまうんだ
当然だよな、だから時々俺は気分が滅入っちまうのさ
愛が見つかるまで、俺はビートを鳴り止ませないぜ


クレジットを見るとこの楽曲は03年3月3日、米軍のイラク侵攻の二十日前に完成している。しかし歌詞を見る限りアフガニスタンへの報復だけでなく、大量破壊兵器を理由にしたイラク侵攻の不当性をも追求している様にも感じる。


以下のサイトで少しだけPVが視聴出来る。

http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/bep/discography.html


エレファンク